いつかはFALCO−RUSTYCO。

・いつかはFALCO−RUSTYCO

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FALCO−RUSTYCOというバイクを知っているだろうか?
1985年の東京モーターショーで10年後の1995年の未来をイメージして作られたコンセプトモデルである。しかしその未来から10年近くたった今、その夢は具現化で来ていないのである。
FALCO−RUSTYCOが、どういうバイクだったかというと・・・・・・

・4サイクルスクエア4気筒500ccエンジンフレームレス構造
・前後スイングアームサスペンションセンターハブ油圧パワーステアリング
・チェーンレス液圧駆動
・パウダーブレーキシステム
・前後17インチ超扁平ラジアルタイヤ
・ポップアップスクリーンカウリング


これはいまだに具現化された技術はほとんど無いものばかりである。
強いて言えば油圧のパワステでは無いものの、センターハブステアリングはビモータが量産車として成功を収めている事と、タイヤの技術程度だろう。
ビモータのセンターハブステアリングも、ハンドルからホイルハブまでピロボールを多用して繋いでいるので、よくまあちゃんと走れて止まれる物を量産まで持って行ったと感心している。(ビモータ偉い!)

FALCO−RUSTYCOは文化遺産に近いものがあると親方は自負しているので、その一つ一つについて解説してみよう。

壱:4サイクルスクエア4気筒500cc

これは、実動2号機のエンジンである。1号機はベンチテスト用に使われた。エアファンネルの下に見える分厚いアルミのパーツは、 本文中に説明のある可変スロットルバルブである。その下のシリンダーヘッドに3本のカムシャフトが横たわる。 そしてシリンダーにあるブラケットはスイングアームピヴォットであり、フレームレス構造であった事がわかる。 オイルパン下に、サスペンションサポートのブラケットが見える。


スクエア4とは上から見て4本のシリンダーがサイコロの4の目のように平行に並んだレイアウトで、往年のススキRG500レーサーがそのレイアウトだったが、4サイクルのエンジンでは大昔のアリエルのエンジンの他は例を知らない。
4気筒で幅を狭くしつつコンパクトに、そして後述するフレームレス構造にも関係するがシリンダー剛性を確保するという要件を満たしている。
この頃はスズキのGSX750が油冷であったので油冷の設計であったが個人的には水冷にすべきだと思うし、当時の設計者もそう思っていた。


・TOHC(トリプル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)
SOHC、DOHCとくれば、もう1本有った方がいいに決まってる・・・・・という訳ではない。吸排気は上から吸って前後から排気する設計になっていたので、前後シリンダーの排気バルブに各1本のカム、そして前後シリンダーの吸気バルブ用カムを共用するという画期的な設計であった。
当然真ん中のカムシャフトは、凄く細いカムジャーナルであった。
・VTECなんて糞食らえ!
低速と高速でカムのリフトを変えるなんてけち臭いことはしなかった。
このエンジンはキャブではなくインジェクションであった。
そしてスロットルバルブはバタフライタイプではなく、スライドバルブであった。
1気筒2つのインテークバルブがあり、スロットルバルブも独立していて、低速(低開度)では一つのバルブにしか空気を送らず、中速からもう一つのバルブに空気が入るという仕組みだった。当然低速域ではマニホールド内の流速も早くなり、スワールも起き易くなる。
中速からは普通の4バルブエンジンになるのでそれなりの性能であるにも関わらず、動弁系に複雑な機構を持たないので軽量化にも故障原因の低下にもなる。言うまもなく低速から高速に至る安定的な高トルクも望めるわけである。
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一つ秘密を打ち明けると・・・・
このエンジン試作1発目からリッター100馬力を絞り出していた。
「だから何?」と普通の人は思うだろう。
実は、自動車、バイクメーカーでまったく新設計のエンジンを開発する段階で、1発目の試作エンジンは、まともに回ったら大成功!どこかに不具合があって回らないとか、5分回って壊れたとかが当たり前なのである。
それから、技術者諸君の血のにじむ努力があって量産のエンジンになるんだけど、このFALCO−RUSTYCOのエンジンは、それほどのバランスと完璧に近い設計がなされていたという訳である。エンジンブロックの剛性が高いので振動も騒音も、異様なほど低かった。

弐:フレームレス構造

実走プロトのストリップである。エンジン本体に前後スイングアームが付いてフレームレス構造の検証の為のプロとであることがわかる。エンジン上部のほぼ水平に近い部分がステアリング用のスライドレールである。パウダーブレーキはあまりにも危険な為、何の変哲も無いディスクブレーキが装着されている。パターンは異なるがホイル&タイヤサイズは実車と同じである。機械的な操舵システムが付くようなブラケット類が無い事からフロントハブステアが油圧のみで操作されていたことを想像してほしい。


4輪の世界ではF1なんか60年代から既にエンジンはシャーシの一部を受け持っていて、すなわちエンジンが車体の強度部材の一つだった。
ドライバーの後ろにエンジンが付いてて、エンジンにサブフレームが付いてリアサスペンションが付いていた。
でも、バイクでそれをやっているものはほとんど無い。一部のカスタムバイクでしか見た事が無かった。でも、FALCO−RUSTYCOはフレームが無い。前述のエンジン剛性の高さをうまく使っているのと、センターハブステアリングなので、普通のバイクのステアリングヘッドに相当するものが無いから、エンジンの中でもあまり強くないシリンダーヘッドやヘッドカバーに過度の負担を掛けなくて済む。シリンダーから前、クランクケースから後のスイングアームが生えているので、エンジン上部はタンクを含むカウル(もちろんライダーの体重もだけど)を支えるだけで良い。それだけフロントからリアまでのカウリング本体にある程度の強度と剛性を持たせる必要がある。<当時はFRPボディであったが、それはマルガヒルズのカーボンコンポジットの技術があればもっと凄いマシンになるはずである。>

参:前後スイングアームサスペンション油圧パワーステアリング

今にして思えば結構無骨な取り付けをしてしまったと反省している。細かいスイッチ類のコードを通すのは大変な作業であった。今ならパソコンの技術を応用すれば容易い事かも知れないが・・・・。 ボディとの隙間はあくまでもショー重視で実際はこの隙間ではガリガリ当たる。


フロントセンターハブステアリングは、FALCO−RUSTYCO以前にも某ヤマハのプライベート8耐マシンなんかで有った手法だったが、ピロボールで繋ぐやり方だった。
FALCO−RUSTYCOの場合、機械的にはハンドルとホイルハブは一切繋がっていない100%パワステのみの機構だった。パワステの機構を説明することは割愛するが、
もう一つの画期性は、スライディングレールによるハンドルだった事である。
普通は、ステアリングヘッドを軸中心にして回転方向にハンドル操作をするのがバイクだが、グリップは前後に移動する、それもすべてのスイッチ類を組み込んだガングリップタイプのステアリングであった。グリップの前後動がパワステのバルブを制御していた。
ハッキリ言ってちょっと乗るのに勇気の要る機構であった。(笑)
一つは路面からのキックバックが一瞬遅れて手元に伝わる、反応も一瞬遅れる、そしてその動きは前後方向であるから、画期的では有ったが、正直なところ・・・・・


乗れたもんじゃなかった!!


まあ、エンジンの所でも触れたように、開発初期の車は乗れたもんじゃないのは常識だから、開発が進んでいけば、充分に性能が出るであろう事は予測できたが、スズキのテストライダーは誰一人乗ろうとしなかったのは事実である。
親方は当時一応国際A級のF1ライダーであり、死んでも一番悲しむ人は少ないであろうとの判断から実験機に乗せられて死ぬ思いを経験させていただいた。
その時の貴重な経験から、基本的にバイクは主に体の後ろ側の筋肉(乗った状態で見える側)を駆使して操るものだということに気づいたのである。FALCO−RUSTYCOに乗ると前側(乗った状態で見えない側)の筋肉を動かすことを異常に要求される。
これは乗った事のある人で無いと理解しづらいかもしれない。

余談ではあるが、FALCO−RUSTYCOの2年後のモーターショーで2匹目の鰌を取る為に「NUDA」というバイクが創られた。
これは親方の関与するプロジェクトではないので詳しい事は語らないが、このマシンのFALCO−RUSTYCOで開発されたステアリングシステムがそのまま使用された。
そして、FALCO−RUSTYCOの時には走る映像は無かったし極度にシークレットが保たれた為に「ありゃあただのハリボテだったんじゃねぇ〜の!?」という不謹慎な評判が立ってしまったので、この「NUDA」では東京モーターショー搬入1週間前にプロモーションビデオを撮影するという馬鹿な事を言い出した営業がいた。
テストライダーも鼻をつまんで跨いで通る未完成のシステムをただ一人経験した親方は、顔の映る事の無いヒーローとして出演する事を強制されたのであった。
無論失敗は許されない。
ひとコケしたら、モーターショーまでに修復は不可能になる可能性すらある。
かくしてライダーに100万円マシンに1億の保険が掛けられ(これは事実!!)朝もや煙る竜洋テストコースで撮影は敢行された。
結果は1987年の東京モーターショーを見に来た人だけが知っている。

四:チェーンレス液圧駆動


チェーンは騒音、油補給(メンテナンス)、油の飛散(汚れる)というデメリットがある。
シャフトドライブはチェーンのデメリットは無いが駆動力のON/OFFに際してよじれが操縦性に影響を与えるデメリットがある。
そこで駆動力を液圧(最初は油圧だったがもう少し効率の良い伝達媒体を使う)で駆動すれば前述のデメリットはすべて解消される
確かにその問題はすべて解決される画期的なメカであった。
これも、たぶん開発が進めば解決される問題だったのかもしれないが、圧力損失の大きさは半端ではなかった。詰まる所、それほど有力な伝達媒体は無かったのである。
それに確かにチェーンの音はしなくなったが、ポンプの音はチェーンの音より大きかった。

五:パウダーブレーキシステム


これもドラムの中に磁性紛体を入れて、電気を通して磁石を動かせば粉が集まってきて抵抗となって制動されるというものだが、超大型の機械類の制動には向いてもバイクのディスクブレーキを上回る性能にはなりえなかった。
当時の技術水準では(といっても今もそれほど進歩しているとは思えないが)バイクの要求する制動能力を満たすには500kgくらいのブレーキが必要だった。
FALCO−RUSTYCOについていたサイズでは、エンジンブレーキ+足を突いてブーツをすり減らした方が止まるんじゃないかというレベルである。

六:前後17インチ超扁平ラジアルタイヤ


タイヤメーカーの技術の進歩はめまぐるしいものがある。
これだけはFALCO−RUSTYCOに託された夢として具現化されたものとなっていると思う。それでも当時は、設計のタイヤ担当が某タイヤメーカーを脅かして「限りなく扁平なタイヤを作れ」といって作らせたものである。
タイヤメーカーは「うちは責任もてませんからね」と捨て台詞を吐いた。
しかし今のタイヤはFALCO−RUSTYCOと同等か、もっと進んでいると思う。
FALCO−RUSTYCOはスリックタイヤであった。
85年当時10年後にタイヤはスリックになると予測したわけではない。
タイヤのトレッドパターンは性能のみならず流行りすたれが有るものである。
正直なところ当時10年後にどういうパターンが流行るかが予測できなかったのである。
ならば、無意匠にしておいた方が、後の世で笑いものにならなくて済むという、ちょっと消極的な選択ではあったが、今思えばその判断は間違っていなかったと思う。
FALCO−RUSTYCOは今見ても未来的で先鋭的なデザインだと思う。
それにン十年前の流行のトレッドパターンのタイヤが付いていたらぶち壊しである。
あと20年経ったらあるいは古臭いタイヤになっているのかもしれない。

七:ポップアップスクリーンカウリング

スクリーン手前のブルーのスイッチがポップアップとシャットダウンのスイッチで、残り二つのスイッチは、ショーの時用にライトのON/OFFスイッチに使用された。メーターは今にして思うと当時のトヨタ車に使われたデジパネを想像させてちょっと古臭いかもしれない。


ここでは、ポップアップスクリーンのみならず、デザインコンセプトにも言及したい。
80年代になり、バイクのカウルが解禁になり、各社競ってカウル付きのバイクを出した。
そして、フルカバードのバイクが登場した。
多分その反動で、「バイクはメカであり機械がむき出しの機能美であるべきだ」という考え方が一部にあった。
恐らく今流行っているネイキッドバイクはカウリングバイクの反動の端的な例であろう。
FALCO−RUSTYCOはスポーツバイクであり、CD値も気にすべきだしライダーの風の負担も考慮すべきだ。だからライダーが伏せた姿勢で最低限確保されるべき安居空間を創り出すシールドスクリーンであるべきだと考えられていた。
そして、安居空間は時として風を楽しむために邪魔なものとなる場合がある。
そこで、可動式のポップアップスクリーンとなった。
また、エンジンその他のメカはその存在をもっと主張すべきとの概念から、サイドビューではまったくエンジンを隠されなかった。

一連のスタディオ撮影の写真は、スタディオ撮影の時にお邪魔虫で付き添って、カメラマンの撮影の合間を縫って撮影したものなので完璧なものではない。そして、モーターショーの時には電源確保の為にバッテリー電源ではなくスクリーンのポップアップやライティングに地上電源が使われた。従ってその為の補器類が後ろに写っている。ご愛嬌というか、リアリティがあるといえるかもしれない。


サイドビューでカウリングがきれいなV字を描いて切り欠かれてエンジンが見えるデザインになっているが、デザイナーの間でセンターハブを強調したいので前側のカウルを無くしたいという意見と、躍動感と軽快感を出す為に後ろ側を無くしたいとの意見が対立して、折衷案であのV字型のデザインに落ち着いたけれど、結果的にはあれで正解だったと思う。
当時4輪のF1ではウイングボトムが規制されフラットボトムだの何だの地面近くの空力が重要視されていたにもかかわらず、レーサーでもボトム形状やマフラーを含めた空力に対して割と無頓着であった。

アンダーカウル部からわずかにエキゾーストパイプが見える。この部分の合わせには相当苦労した。マフラー本体もアルミの叩き出しなので、何度試作課の班長にイヤミを言われながら修正したことか分からない。あのジジイまだ生きてるだろうか・・・。
憎まれ口は叩くが、腕はホンモノであった。今、ああいう職人は居なくなったと嘆く親方である。


FALCO−RUSTYCOはボトムカウル内にマフラーを押し込めてその排気口すら飛行機で言うボルテックスジェネレーターの役目を果たし、カウル後部に起こる空気の渦を消そうとしてああいうデザインになった。

シートカウルの内側(リアフェンダーの上側)もカバーされたバイクは当時あまり無かったので綺麗な処理と評価できるが、美観だけでなくシートカウルにもある程度のモノコック構造の強度を要求された為にあのようになった。
生産工程を考えると、非常に面倒くさい処理であったが、そこはそれ、ショーモデルだからこそ出来た形だろう。

八:FALCO−RUSTYCOの由来


ファルコンとは隼である。商標登録上この名前は使えない。
たしかFORDかどこかが「ファルコン」の商標権を持っていたのである。
実はスズキ本社に程近いスズキの試作車の塗装をやっていた頑固親父のU氏という人がいて、野鳥の研究には結構うるさい親父だった。(親父というよりヲヤヂって感じ)
親方はこのU氏のところで全日本や8耐で使うマシンの塗装をしてもらっていたので、よく入り浸っていろんな話をしていた。
U氏もレース活動する我々を理解していて、バイクのスピードとそれを創り出すマシンの美しさに魅せられ、それらについてよく語り合ったものだった。
彼が一番速く、プライドと品格のある鳥として常々白隼について語っていて、そのシロハヤブサの学術名が<ファルコラスティコラス(スペルは忘れた)>であり、それがFALCO−RUSTYCOのデザインイメージのベースになっている。
後に「隼」と命名された1000ccVツインの恐ろしく速いバイクがSUZUKIから市販されたが、FALCO−RUSTYCOのコンセプトとはなんら関係ない。
親方個人としては、ハヤブサは中型で贅肉の削げ落ちたスマートさを持ち動作の機敏な鳥であるので、あのようなアウトバーンを200kmで走っていてそこからフル加速したらブラックマークの付くような大馬力に寄り頼んだバイクにはあまり相応しくない名前だと思っている。しかし、それは単なる商標登録は使わなければ無効になってしまうという事を嫌った商品企画の人たちが付けた名前なのであろう。
昔からSUZUKIの商品企画にはポリシーと脈絡が無い。
大昔に人気を得たウルフ90というバイクが有ったのだが、前述と同じような理由でVanvanの後継機種のような子豚のようなバイクにその名前を冠した事だってある。
「隼」は、速さでは群を抜いたバイクだったし、FALCO−RUSTYCOのエンジンを創り上げた技術者が、エンジン担当だったりもしたから、まあ良いかと親方は思っている。

九:FALCO−RUSTYCOの運命


当然の如く、1985年東京モーターショーの2輪車部門の話題は、FALCO−RUSTYCOが一番であった。雑誌等の取材に対しても極端な制限を設けた為なおさら秘密めいた幻の車になって行った。FALCO−RUSTYCOはまだ実用段階に無い技術も多くあり、しかし、バイクファンや社内技術者のエールに応えて開発は続行された。
しかし・・・・・
FALCO−RUSTYCOは不運なお蔵入りを遂げるのである。
当時SUZUKIの2輪事業部は二つの勢力があった。国内グループと輸出グループである。車種ごとに企画から設計、営業に至るまで二つのグループに分かれて仕事が進んでいて、当然人が集まれば派閥ができて、国内と輸出はあまり仲良しではなかった。
FALCO−RUSTYCOは東京モーターショー発表という事からも分かるように国内グループの企画であった。
この先はあまり詳しくは書けないのだが、SUZUKIという企業の中の政治的派閥争いの中でFALCO−RUSTYCOは埋没し、闇に葬り去られた。

十:エピローグ


親方はFALCO−RUSTYCOのボディ図面を密かに保管している。
エンジン図面は恐らくSUZUKIの図面庫の何処かに眠っているはずである。
液圧駆動やパウダーブレーキはあまりにも実用的ではないのだが、ただのセンターハブステアリングでチェーンもしくはシャフトドライブでなら具現化できる。
親方の目の黒いうちにそれを造り上げて、マルガヒルズブランドで世に送り出して行きたいと思っている。

 

<サービスギャラリー>

1/2テープドローイング

ボディデザイン初期のモックアップ。ここから削ったり盛ったりして形を造っていく。

「Falco Rusthycoなんて張りぼてだ」と言った奴らに見せてやりたいシーンである。カウルとは10mmの隙間を保ってあのショーの最中にこの素晴らしく良く出来たアルミの手叩きのマフラーがカウルの中で眠っていたのだ。

EPIとは営業の断っての願いで入れられたが、古臭さは隠せない。

スクリーンアップ状態でのサイドビュー

手前にシリンダーヘッドが見える。TOHCである事はうかがい知れると思う。 実走プロトが2台組みつけられようとしているのが分かる。 そばにあるアルトが時代を感じさせる。(笑) 手前にあるフレームは、スクエア4エンジンを搭載した量産車輌を意識したプロトタイプ用のフレームであったが、本文中にあるように、極度に政治的な背景によりそのプロジェクトもお蔵入りした。FALCO RUSTYCOは決して社内で優遇されていたプロジェクトではなかった事は、専用の実験室が与えられず、実験棟の片隅を利用して組み立てがなされていたこの写真からも想像が出来よう。

 

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